「将来子どもが欲しいなら、絶対に今動いて!」
友人の強い一言から始まった卵子凍結。そして、まるたARTクリニック(名古屋)での治療を経て、奇跡のように結ばれた「過去の自分の卵子」と「現在の夫」との出会い。卵子凍結から出産まで、一人の女性が歩んだ希望の軌跡をご紹介します。
36歳の冬、友人からの強い後押しで卵子凍結を決意
30代に入り結婚願望はあったものの、35歳で独立してフリーランスとなり、仕事に邁進する日々を送っていました。36歳になり本格的に婚活を始めた年の暮れ、高校時代のバスケ部の集まりがありました。
そこで話題になったのは不妊治療のこと。不妊で悩んでいる友人や、治療経験者が多く集まっていたのです。独身でパートナーもいなかった私に対し、友人たちは「今後子どもが欲しいと思うなら、今すぐ卵子凍結をしたほうが良い」と強く勧めてくれました。
実は当時、「卵子凍結したほうがいいかな」くらいには考えていたものの、費用も高く、面倒くささもあって踏み切れずにいました。しかし帰り際、「みんなそう言って結局踏み切らずにズルズルするから、絶対動いてね!」と強く念を押され、年明け早々に卵子凍結ができるクリニックを探し始めました。
厳しい現実と「心のお守り」|4回の採卵で16個を凍結
当時の名古屋では、パートナーのいない女性が単身で卵子凍結できるクリニックが少なく、何軒も断られました。ようやく見つけた施設でAMH(卵巣予備能)を調べてもらうと、急降下した最下層の数値を指しており、先生から「年相応ですね」と言われショックを受けました。健康には自信があり、少し若い気持ちでいたため、急に怖くなったのを覚えています。
すぐにスケジュールを調整して採卵へ。毎日仕事を調整し、片道40分かけて連日注射のために通院しました。しかし、初めての採卵で採れた卵はたったの1個。無事に凍結はできたものの、少なさにショックを受けました。
友人は1回で20個近く採れていたのに、私は刺激の方法を変えながら2回、3回と採卵を繰り返すことに。結果として、36歳〜37歳にかけて4回の採卵で16個の卵子を凍結しました。先生からは「20個を目指したほうが良い」と言われましたが、心が折れてしまい、そこで卵子凍結を終えました。
納得のいく人生を歩むための「大切な選択」
この卵子凍結は、私にとって単なる保険以上の意味を持ちました。
焦って妥協して相手を決めるのではなく、「自分が納得のいくお相手と出会い、子どもも授かって幸せな家庭を築きたい」という一番大切にしたい気持ちをブレずに持ち続けるための糧となったのです。自分にできる限りの備えをしておけば、自分の選択に自信が持てます。仮にそこまでやってお相手が見つからなかったり、子どもに恵まれなかったりしたとしても、「やれるだけのことはやった」と自分の人生に納得ができる——そう思えたからこそ、前を向いて婚活に臨むことができました。
凍結した卵子の存在は、その後の婚活を進める上で、私にとって大きな「心のお守り」となりました。
39歳での運命の出会い、そして始まった過酷な不妊治療
37歳、38歳と、婚活はなかなか思うようにいかず焦りもありましたが、39歳の時、ついに現在の夫と出会います。トントン拍子に結婚の話が進み、40歳の誕生日を迎える前に結婚式も済ませ、すぐに妊活に入りました。
当初、すぐに凍結卵子を使用する選択肢もありましたが、「40歳までなら保険診療で6回のチャンスがある」「自費の凍結卵子は、第二子を希望した時のために取っておきたい」という思いから、まずは大きな病院で保険適用内の不妊治療を始めることにしました。
しかし、現実は厳しいものでした。2回の採卵で合計4個しか採れず、1回目:化学流産、2回目:稽留流産、3回目:化学流産、4回目:陰性という結果に。4回目の結果が出た時は、ちょうど41歳の誕生日。目の前が真っ暗になるような絶望を感じました。
まるたARTクリニックとの出会い、そして運命の決断
あと2回、保険での治療は残っていましたが、お金よりも「年齢の不安」が大きくのしかかっていました。大病院では先生が毎回変わり、「卵の質の問題だから」という理由だけでそのまま保険治療を続けるよう勧められ、納得のいく答えが得られませんでした。
精神的に耐えられなくなった私は、転院を考え色々と調べる中で、45歳の友人が通っていた「まるたARTクリニック」へ、夫と二人で話を聞きに行きました。
丸田先生からの的確な提案
丸田先生はすべての流れを親身に聞いた上で、明確な提案をしてくださいました。
- 自費診療に切り替え、過去の凍結卵子16個と、新たに採卵した卵を合わせてPGT-A(着床前胚染色体異数性検査)に出すこと。
- 同時に、母体の検査をしっかり行うこと。
これが妊娠への一番の近道になるとのことでした。「保険治療には戻れないこと」「凍結卵子を使い切るリスク」もしっかりと説明された上で、私たちは決断を下しました。
タイムスリップした奇跡|正常胚5個はすべて「37歳の凍結卵子」だった
夫とたくさん話し合い、41歳で新たに採卵した卵と、16個の凍結卵子を合わせてPGT-Aに出すことを決めました。新たに採卵できたのは3個。凍結卵子16個と合わせた19個のうち、17個が受精し、最終的に胚盤胞(妊娠が期待できる状態)まで育ったのは合計8個でした。
内訳を見ると、41歳の卵3個からは1個が胚盤胞に。一方、37歳の凍結卵子16個からは7個が胚盤胞になりました。そして、合計8個をPGT-Aに出した結果に、私たちは驚愕しました。
正常な胚盤胞は5個。そして、その5個はすべて「37歳の時の凍結卵子」だったのです。
結果論ですが、あのまま大病院で保険診療を続けていたら、正常な胚盤胞には出会えなかったかもしれません。まるたARTクリニックへ転院し、凍結卵子を使うという決断は、本当に英断でした。
出会うはずのなかった5年前の私(の卵)と、現在の主人がタイムスリップのように出会えた奇跡だと感じました。
遠回りのようで一番の近道だった。奇跡の妊娠・出産へ
正常胚が5個見つかり、とにかく早く移植をしたい気持ちでいっぱいでした。しかし丸田先生からは「まずは母体の検査をしてからのほうが良い」と提案されました。
「せっかく5個あるのに」と悩みましたが、夫からの「逆に言うと5回しかチャンスがないかもしれないから、無駄にはできない」という言葉に背中を押され、検査を受けました。結果として改善すべき点が見つかり、しっかり対策をしてから移植に臨むことができました。それが結果的に、妊娠というゴールへの一番の近道になったと確信しています。
辛い思いもたくさんし、時間もお金もかけた2年間の妊活でしたが、妊娠・出産できた今となっては、すべてを忘れるくらい奇跡で幸せなことだと思っています。
あの時、卵子凍結の背中を強く押してくれた友人。そして、まるたARTクリニックを教えてくれた友人、丸田先生、たくさんの人に恵まれて今の幸せがあります。過去の自分の決断が、未来の家族を救ってくれました。もし今、卵子凍結を迷っている方がいるなら、私のこの体験が少しでも前へ進むきっかけになればと願っています。



