ドクターインタビュー

俵IVFクリニックの俵史子院長|地域に根ざし、患者と向き合える場所を作りたい

6組に1組が不妊治療を受けると言われる日本。妊活や不妊治療の現場の医師たちは、どんな想いを持って最前線に立っているのでしょうか。

普段は語られることがない、ドクターのパーソナルストーリー、第9話は静岡県静岡市にある「俵IVFクリニック」の俵史子院長です。

俵院長は20年以上不妊治療に携わる中で、地元にしっかりした不妊治療の施設を作りたいという思いで静岡に開業し、日々患者の方々と向き合っています。

目指すは「患者さんや家族と一緒に考えて歩む、テーラーメード治療」

生殖補助医療(ART)が積極的に取り入れられる前から、現場を見てきた医師が考える最良の治療とはどいうものなのでしょうか。

俵史子院長

【経歴】国立大学法人 浜松医科大学医学部を卒業し、愛知県の竹内病院トヨタ不妊センターで専門的に不妊治療に携わる。地元・静岡県で不妊治療専門のクリニックを開業したいという願いを叶え、2007年に俵史子IVFクリニックを開院。「納得・理解して進むテーラーメード治療」を目指す。浜松医科大学臨床教授も務める。

地域に根ざす施設を作りたい

──どのような経緯で産婦人科の医師になられたのでしょうか。

 医者の姿に憧れがあったんですね。家族に医師がいたというわけではなかったんですが、町医者の姿を見て、人を助けるという職業に憧れたのが最初です。

不妊治療の前に、産婦人科を選んだわけですが、そのきっかけは、患者さんを診る中で、赤ちゃんの誕生に出会う、喜びを噛み締める機会が多いということがありました。

進学した国立浜松医科大では、産婦人科の中で産科領域が全国的にも有名だったことも理由ですね。

写真:iStock

──産婦人科から不妊治療を目指したのはどういうきっかけがあったのでしょう。

 卒業後に配属されたのが静岡市内の小さい病院でした。

産婦人科も医師二人で全ての診療をしていたようなところだったんです。病院OBとして相談や指導をしてくれる先生が、将来私の恩師になる藤原義倶先生でした。先生が私に不妊治療のいろはを教えてくれました。

藤原先生は、私が生まれた1971年にはもう産婦人科の医師でした。ARTを使った体外受精で生まれた子供が日本で初めて誕生したのが1983年なので、どれほど不妊治療のキャリアを持たれているかわかると思います。

先生の元で一緒に患者さんを診察する機会ももらいました。そこで、興味が妊娠を助けていくという不妊治療にどんどん傾いていきました。「あぁ、不妊治療に携わりたいな」と。

写真:iStock

また「地域」というのも私の中では大きな課題でした。

病院では高度な生殖補助医療(ART)がそこまで行われておらず、地域には専門施設もない状況。そこで、多くの患者さんが高度な医療をなかなか受けられない中で右往左往する姿を目の当たりにしたのです。

当時は静岡の患者さんを、不妊治療を専門でやっている北九州のクリニックに紹介していました。ですから、地域で完結できる治療をしたいという想いもとても強くありました。

現場で見た「限界」

──生殖補助医療がまだ主流になる前に、不妊治療の道に入られましたが、どのようなことを学ばれましたか。

 藤原先生には、タイミング法やホルモン療法など自然妊娠を目指した一般不妊治療と、遠方で採卵・移植採卵・移植を受ける患者さんの管理を叩き込んでいただきました。そこでは排卵の具合、着床、卵巣の状態が患者さん一人一人によって全然違うということを熱く教えられました。

そして、一人の患者さんを丁寧に見ていくことが、妊娠しやすい近道を探すことになるんだという考えを教えてもらったのです。

藤原先生は、不妊治療に没頭されていて、知識を蓄えるために全国の不妊治療の医師のところに勉強に行っていました。その先生のネットワークを介して、日本でARTを早く始められた栃木の中央クリニックで技術を学ぶことができました。

私は一般の不妊治療でどこまでできるのかを学びながら、一方でその限界も見極めることができたと感じています。

写真:iStock

──「限界」があったという話ですが、高度な生殖補助医療(ART)の世界では何が違っていたのでしょうか。

 私が不妊治療に携わり始めた時は、基本的に自然妊娠を希望する人が多かった時代です。長く治療を頑張る中で、どこかで結果が出るという期待を持つし、それに関わる医師も結果を出したいと思います。

けれども、どんなにいろんなことをしても結果が出ない方もいました。

そういう患者さんを、生殖補助医療ができる北九州のクリニックなどに紹介したところ、一度で妊娠してこられたことがありました。「ARTを一度受けて妊娠した」というのを見たのは衝撃的でしたね。

生殖補助医療の可能性

──医師になる過程で、忘れられない診察はどのようなものだったでしょうか。

俵 経過が長かった患者さんは印象に残ります。特に昔の患者さんは長く付き合って、一喜一憂して共に歩んできたという記憶がありますね。

先ほどお話した患者さんですが、実は一般の不妊治療を2年くらい頑張った方で、年齢も40歳前後くらいでした。家業のために後継ぎを作らなければならないということで、家族のプレッシャーもあった。

写真:iStock

その女性を北九州のクリニックに紹介したのですが、彼女は一度で妊娠することができました。ART(顕微授精)の技術を借りてお子さんを授かり、その後もお子さんを街で見かけて成長を確認することもありました。本当に結果が出て良かったと思いますね。

当時は自分ではARTはできなかったのですが、最終的に長年かけて他の施設で妊娠して帰ってきてくれた。患者さんとしての思い入れだけでなく、不妊治療への考えも広がったという意味で、大切な経験になりました。

自然に近い妊娠を目指して

──先生が不妊治療において、非常にやりがいがあると感じた瞬間はどんな時でしょうか。

俵 不妊治療は薬を出すだけ、技術を提供するだけでなくて、患者さんの気持ちに寄り添うものです。思いをくんで、夫婦の考えなどひっくるめて選択をしていくものだと思っています。

絶対の正解があるものでもありません。夫婦がどれだけ納得、理解して治療を選択していくのかが大事です。

クリニックによっては、ARTの技術が向上したのでARTだけを専門にするところもありますが、私は自然に近い妊娠にも力を入れたいと思っています。

俵IVFクリニックの受付

自然妊娠できる人はそうしてほしいし、ARTの力が必要な人にはそういう手段を提供するという考えは変わっていません。患者さんの背景も聞きながらオーダーメイド的にプランを作っていきます。

その上で、医師としてどれだけ知識を持って選択肢を増やせるのかというところが大切になってきますし、そこにやりがいを感じています。

──妊娠後や出産時のリスクを軽減させるためにデータを取って、患者さんの体質改善、生活指導などにも力を入れていると聞いています。

俵 そうですね。実は周産期合併症については15年以上にわたってデータを取っています。私たちのクリニックで妊娠した人の予後調査です。

これは産婦人科の先生の協力がないとできませんが、データ解析した結果を産科の先生にフィードバックしたり、そこから不妊治療に活かしています。

なぜこの追跡調査を始めたかというと、私が不妊治療を始めた当初はARTでの出産にまだ偏見があった時代でした。顕微授精で生まれた子供は「試験管ベイビー」と言われたりもしていた。

出産時に出血するトラブルも多く、産科の先生はARTで妊娠した出産に関わりたくないと思っていたんですね。

俵史子院長

そこに何かできないかと思って調査を始めました。調査の中では、ARTが全てが悪いわけでなく、患者さんの体質が関わっていること、ARTの治療の中でも例えば凍結してる胚をある方法で移植した人に合併症が多いなど多くのことがわかってきました。

つまり一概にARTのリスクが高いという訳ではないんです。こういうことが詳しくわかれば、治療方針に手を加えられるし、体質に関しては患者さんができる範囲のこともあります。

痩せている、また肥満の場合は合併症が増える原因になります。患者さんにはリスクの種類を説明しつつ、指導が必要な患者さんにはフォローアップして体重のコントロールをスタッフ含め、皆でサポートしています。

女性の選択肢を増やしたい

──日本は6組に1人が不妊治療を受けています。その現状をどう思われますか。

俵 日本では晩婚が多くなり、それによって不妊治療が必要になっているという現状があります。課題は年齢ですが、一人一人の選択を考えた時に、一概に「早く妊娠してください」とは思いません。個人の価値観は大切です。

ただ、そこで何かできないかとは思っています。これまで未婚の女性の卵子凍結という分野には関わっていませんでした。

ただキャリアを積みたい、子供を考えた時にパートナーがいない、将来は妊娠を希望するかも、という時に今できる選択肢は卵子凍結ではないかと思うのです。

これからは不妊治療だけでなく、将来の妊娠を考える女性たちの選択肢も増やせていけたらと思っています。

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