ドクターインタビュー

木下レディースクリニックの木下孝一院長|最適な選択肢をいくつも残すためにできること

5.5組に1組が不妊治療を受けると言われる日本。妊活や不妊治療の現場の医師たちは、どんな想いを持って最前線に立っているのでしょうか。

普段は語られることがない、ドクターのパーソナルストーリー、第11話は滋賀県静大津にある「木下レディースクリニック」の木下孝一院長です。
木下院長は、最先端の技術を持つ施設を作るだけでなく、日々進化する技術を取り入れて患者さんに最適な選択肢をいくつ残せるかを大切にしています。
さらに、「プレコンセプションケア」という観点からも医師ができることを探っています。
不妊治療の現場で、どのようにモチベーションを上げながら患者さんと日々接しているのでしょうか。

【経歴】2007年、藤田保健衛生大学を卒業、2009年に藤田保健衛生大学産婦人科医局にて准教授を務める。2012年、日本産科婦人科学会産婦人科専門医を取得。その後、不妊治療専門施設に勤務し不妊治療のプロとして技術を磨く。2018年、木下産婦人科院長に就任。2021年京都IVFクリニックを新たに開院。生殖医療と染色体、遺伝子の関わりが強くなる現代の医療現場を体感し、2022年日本人類遺伝専門医を取得。
現在は医療法人木下レディースクリニックの理事長として京都・滋賀の二施設で不妊治療(一般不妊治療、高度生殖医療)、着床前診断、出生前検査に携わる。

──どのような経緯で不妊治療専門の医師になられたのでしょうか。

父親が産科の医師で、滋賀の大津で開業していたのを子供ながらに見て育ちました。「先生のおかげでこの子が生まれました」と声をかけられる父の姿を通して、医者、そして産科に興味を持ちました。

産婦人科の入局を決めて、気がついたことがあります。僕はどちらかというと準備を念入りにするタイプで、今の人口構造を見た時に、間違いなく妊娠したいけれど苦しむ人が増えるだろうと考えたんです。
子供が減少しているのは明らかで、ベビーブームも訪れずに高齢化する。当時、産婦人科は「産科」か「婦人科」というグループの分け方でした。その中で、生殖医療が社会でこれから求められるだろうという思いがありました。そこで不妊治療の道を選んだというのが大きいですね。

──父親が産婦人科医師で、その医院を継いでいますがその思いは。

実は、二代目は二代目でコンプレックスがありがちなんですね(笑)父親が頑張って医者をやっている中で、二代目は努力して父に認められたいという思いがあります。産婦人科という同じ分野を選んだのは父のおかげですが、その中で認められるようになるには同じ土台でやっている限り、後追いしかできないのではないかと思えたのです。不妊治療では、患者さんが産婦人科に行く前の段階で出会い、治療でその方が産婦人科に通うまでの道筋を作ることができます。これから産婦人科の中で不妊治療の必要性が増すと気がついたと共に、父とは違う分野でエキスパートになりたいという個人的な思いもありました。

生殖医療は最初は保険の効かない自費治療だったので、共働きをするカップルが対象になることが多く、都会での開業を考えていました。東京で物件も探していましたが、憧れる存在でもある父が80歳近くになって「これからどう考えているのか?」と切り出してきました。父の医院を継ぐということ選択肢が見えたわけですが、ここは譲り合いながら運営するのは難しいと思ったのです。父に完全に医院を譲ってくれるならば「自分のやりたいクリニック」ができるので、感謝の思いを込めて帰りますと伝えました。

引き継いで5年で本当に多くのご夫婦に来て頂き、遠方の方の受診が増えてきた為、2021年に全く新しい土地の京都で二施設目を開業することにしました。

── 不妊治療の専門医を目指す中で、どのような経験を積まれたのでしょうか。

 一番衝撃を受けたのは、不妊治療だけをやっているクリニックに在籍できた時です。臓器別に対応するわけではなく、婦人科は「女性に対応する科」なので、同じ日のうちに10代の生理の悩みから、80代の子宮・卵巣がんまで診ていくことがあります。また、日中の仕事が終わると、夜は産科の当直で分娩に携わるという生活でした。

やはり不妊治療だけに専念しないと時間がないし、卵子・精子・受精卵に向き合う時間がとれない。そこで不妊治療に特化したクリニックで、勉強してみたいという気持ちが強くなりました。実際に行ってみると、必要な薬、器具、人材、システムも不妊治療のためだけに存在しており、とても衝撃的でした。ご夫婦毎に個別に対応し、妊娠率、出産率を上げるということは、働く時間すべてを不妊治療だけに捧ぐべきだということが、心でも体でも感じられました。それは大きな経験でした。

──空間を徹底的に清潔に保つ環境対策(KOACHシステム)を業界でいち早く取り入れるなど、最先端の施設づくりに尽力していると聞いています。木下レディースクリニックならではの特徴を教えてください。

どれだけ素晴らしいクリニック、大学でも100%の治療法はありません。必ずこれをすれば妊娠できるというのがない世界です。ということはご夫婦の精子、卵子、受精卵に対して様々な選択肢があることが大事になります。卵子、精子の形態をみながら、妊娠率や流産率を考慮して適切な選択肢を決めていく。これがダメだったら次はこのような方法があると、納得のいく治療を組み立てていけることが大切だと思っています。

不妊治療は技術革新の流れが早い業界です。常に新しいものを選択肢に入れながら、取り入れたものが夫婦のためになっているかのチェックを繰り返す、それが私のクリニックのコンセプトです。

私が感じるだけでも、ほんの15年ほど前でさえ、体外受精と言うと、知らない方々は「そんなことをするのか」と怖がる人も多くおられました。治療の内容も想像できない、どんな場所で、精子や卵子が扱われるのか見えないために、不安が増している患者さんも多くおられました。少しでも患者さんが安心して治療が受けられる為に、また医師、培養士が働きやすい職場とはどんな職場なのかを考え続けて、私たちの施設の心臓部分となる培養室を世界最高水準で作ろうと、新しい設計となる開放排出型のISOclass1の培養室を作りました。

──日々進歩する新しい技術はどのように取り入れていますか。

この業界ではデータをしっかり出すということが求められます。通常、最新の研究結果というと、大学や総合病院から出ることが多いと思うのですが、不妊治療は自費の治療だったということもあり、クリニックが主体になって研究の成績を上げてきました。クリニックが頑張ってデータをしっかり表に出し、院長やスタッフが学会で多くの技術の発表しています。海外で新しい技術が始まっているという話もここで入ってきたりするわけです。

──木下院長が、日々心がけていることを教えてください。

クリニックを開業した時から、ご夫婦に納得して治療を受けてもらうには、どうしたらいいのかを常に考えてきました。妊娠したいという希望があってクリニックに来てもらうのであれば、1%でも高い妊娠率につなげてあげたい。クリニックにいるスタッフの技術、施設管理基準、治療成績を、報告されている高い世界基準に設定し、作りあげていくことを心に決めました。基準となるデータをもとに、ご夫婦の治療データを出しながら、対話の中で、新たな治療の選択肢の幅を広げるというのが私のクリニックの不妊治療でありたいと考え、開業しました。

また、最近ではよく聞かれるようになった「プレコンセプションケア」という、不妊症になる前から女性の体のサポートをしていくということを開業の時から理念にあげています。女性男性の体について、卵子精子について、妊娠、流産について説明する場をセミナーイベントとして開催。また、AMHの値を測るセミナー(「AMH女性の日」)を開催することで、女性が自分の体を見直すきっかけを作るイベントを毎年、日曜祝日に設けてきました。

※プレコンセプションケアとは:https://gracebank.jp/egg-freezing-preconceptioncare/

※AMHとは:https://gracebank.jp/about_amh/

開業した7〜8年前には、医者が病名がつく前から患者さんに介入するなんて商業っぽく、医者の仕事でないと揶揄する人もいました。でも私は違うと思っています。女性は年齢と共に妊娠率が下がり、流産率が高くなり、悩むことがわかっているのに、悩んでから来るのを待つのが医者の仕事なのでしょうか。

私のところに来る夫婦が「早く知りたかった」、「早く治療を始めたかった」と言うのを毎日のように聞きます。女性が結婚や妊娠を具体的に考え始める前に、医療現場から情報提供をすることは、何よりも大切だと昔から考えていました。

先日、「AMH女性の日」に来院された方々のアンケート結果・データを日本不妊カウンセリング学会に出したところ、奨励賞を頂きました。事前に医師が「介入する意味があるの?」というところから、周囲の捉え方も今では変わってきた気がします。信念を持ってやってきたことが報われるのは嬉しいですし、時代は必ず変わっていくものだと感じました。

 ──片道5時間もかけてクリニックに通う方もいらっしゃるようです。患者さんはどの地域からいらしているのでしょうか。

遠距離の方がどんどん増えてきて、より通いやすいところを目指して診察をしたいという気持ちが強くなりました。京都にクリニックを出したのも、そこに理由があります。もちろん関西が中心ですが、東海、九州、関東方面からの患者さんが受診されることも多くあります。卵子をたくさん採る必要のある方は、採卵2日後にお腹が張るピークが来るので、そこまで経過をみて2、3泊して帰られる方もいらっしゃいます。

 ──医師になる過程で、忘れられない患者さんについて教えてください。

この話であれば、3日くらい話せますね(笑)一人挙げるとするとすれば、開業後の初めてのご夫婦が一番心に残ってるかもしれません。最初の患者さんの年齢が42歳だったのです。不妊治療でなかなかのハードルを神様は課してきたなと思ったのですが、今までの経験を生かして、ここで思ったような成績が出せれば、「これで勝負できる」という自信にもつながると思いました。そしてその方は、なんと1回の採卵、1回の移植で妊娠していただけたんです。

不妊治療施設では、クリニックの院長の思いやコンセプトが治療に深く関係してきます。従って、開業後に自分のクリニックで治療をして妊娠された時は、自分を信じてくれたご夫婦、スタッフに心から感謝し、言葉にはできないくらい嬉しくてたまりませんでした。また、自分自身が雇ったスタッフ、作り上げた施設で、自分自身がいいと思った治療方法で勝負ができるんだという自信が得られたのは大きかったですね。開業当初からトップギアでいけたのは、この経験があったからだと思います。

 ──その後、体外受精で授かった赤ちゃんを見たりすることはありましたか。

いい質問ですね!不妊治療では患者さんとは妊娠10週くらいまでのお付き合いで、その後は産婦人科に転院します。だから、携わらせていただいたご夫婦のお子さんと再会できる場を作りたかったんです。「ハッピーアニバーサリー」と題して、受精卵の画像をみんなで見ていきながら、「私が君たちに出会ったのはここまでだったんだよと、お久しぶりですね」と話しかけていました。

さらに嬉しかったのは、出産後のご夫婦が、先生と子供と一緒にこういう場が欲しかったと言って、多くの方が参加してくれたことでした。ひとつひとつの受精卵が、こんなに大きく成長したんだなと実感させえてもらえる機会を作ったことで、受精卵への思い、情熱がさらに強くなりました。凍結する卵、一つ一つが赤ちゃんになる可能性を持っているのだと、改めて確認でき、更に治療成績をあげたいという気持ちが強くなりました。

 ──それはとても感慨深いですね。

涙もろいので第1回目のイベントから私も泣いて、患者さんも泣いてしまって、一体何の会なのって言いながら(笑)

デリケートなお話ですが、昔よりはそういう会もやりやすくなったと思っています。体外受精が特別な妊娠ではなくて、こんなにしっかりお子さんが生まれてきてるんですよ、というのを患者さんでなく、いろんな方に見てもらいたいですね。

  ──卵子凍結についてどのような思いを持っていらっしゃるでしょうか。

卵子凍結はがんを患う患者さんへの妊娠を残す方法として、医療現場で行われていました。健康な女性への卵子凍結がなかなか受け入れられなかったのは、倫理的な観点や医療技術の進歩が必要だったからです。

現代の激動する社会の中で、女性が自分の人生の選択肢として、卵子凍結を希望する人が増えてきたのだと感じます。私たち医療者が大事にしないといけないのは、卵子凍結が単なるブームで終わらないようにすることです。卵子凍結後の卵がどうなったのかを調査し、卵子凍結を選択された女性の希望が、本当にかなったのかを聞き取り、しっかりとした日本のデータにしていく必要があると思います。

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