日本ではフリーマーケットアプリの「メルカリ」を運営する株式会社メルカリが、2021年5月から「卵子凍結支援制度」をスタートしました。
社員の採卵・凍結保存など卵子凍結に関わる費用を、200万円を上限に会社が補助するもので、大きな話題になっています。
しかし、米国では2014年、フェイスブックのチーフオペレーティングオフィサー(COO) 、シェリル・サンドバーグ氏が福利厚生の一部として卵子凍結のサポートを導入したのをきっかけに、企業による「卵子凍結、不妊治療の支援」がすでに活発に広がっています。
企業が卵子凍結や不妊治療への支援を始めるのはなぜでしょうか。また企業にどんなメリットがあるのでしょうか。
日本にも支社があるビジネスチャットツールの「スラック(Slack)」、そして企業向けクラウドサービスを展開する「ボックス(box)」にそのホンネを聞きました。
全社員を対象にしたい
スラックは2019年、家族計画に対して手厚い福利厚生を導入しました。卵子や精子の凍結だけでなく、不妊治療の計画・相談、体外受精、養子縁組サービス、代理出産サポートに関わる費用を、北米で年間1万ドル(約110万円)を上限にカバーしています。
インタビューに答えてくれたのは、スラックの人事担当、この道20年のベテラン、ドーン・シャリファン(Dawn Sharifan)さんです。
──なぜこのような家族計画の福利厚生を考えたのでしょうか。
まず初めに、私たちは社員への福利厚生を考える時に、誰もが含まれる包括的な制度にしたいという思いがありました。
男女の夫婦だけでなく、LGBTQのカップルや独身の女性など、さまざまなグループのことを考えることが必要です。独身の女性の場合、家族計画と言った時、家族を持てる時期が選択できるようにしたいと思いました。女性は年齢を経るごとに卵子が老化していくという、生物学的な要素があります。
スラックで働く人たちはとても野心的で、自分のキャリアについてよく考えています。そのため、社員の時間軸に沿って選択肢を増やしてあげたいと思いました。
もう一つは、LGBTQコミュニティをサポートすることです。従来の医療保険では、同性のカップルは異性のカップルでないので、「不妊治療」の対象になりません。私たちは、親になることを望む全ての人にそのチャンスが与えられるべきだと思っています。
──女性が家族計画と、キャリアを両立させるのは米国でも難しいということですね。
そうですね。私は20年ほど人事部で働いていますが、女性がより上級のポジションに就くことができるようになってきています。社会的に活躍するチャンスが増えていますから、家族をどんなタイミングで持つか、これは大きな課題になっているのです。
優秀な人材確保のために
──シリコンバレーでは多くの企業が同様の福利厚生を導入しています。
不妊治療や卵子凍結などへのサポートは、2017年頃に米国西海岸、IT企業が集積するシリコンバレーでとても流行したものです。シリコンバレーでは、優秀な人材の奪い合いが激しく、人材を逃したくないため、別の企業が導入した福利厚生と同じものを導入する動きが続いています。
特典を提供する企業が増えれば増えるほど、他の企業も競争力を高めるために同じ特典を提供しなくてはいけないというプレッシャーになります。
10年前には卵子凍結や、不妊治療のための支援を会社がするということは考えもしませんでしたが、時代によってニーズが変化しています。
私たちは、社員からどういった福利厚生が良いのかを定期的に聞いていて、従業員のニーズが高まったところで、2019年、家族計画へのサポートを決めました。
──この福利厚生は企業にとってどんなメリットを生んでいますか。
社員の採用と確保に関してかなりの効果があると考えています。例えば、当社の福利厚生は、世界中から寄せられる社員のフィードバックで、常にトップクラスの評価を受けています。
休暇制度、妊産婦手当、メンタルヘルス手当、コロナへの対応など、エンゲージメント調査から採用プロセスに至るまで、フィードバックは非常に好意的です。
そのため、企業としても社員への福利厚生に大きく投資しようと決めています。私たちは、誰もが医療を受けられるべきだと考えています。社員が十分にケアされていれば、精神的、経済的、肉体的にも、より充実した状態で仕事に臨んでもらえますし、よりインパクトのある仕事をしてもらえると思うのです。
人生を変える福利厚生
──実際に制度を使っている女性たちはいますか。
私が今知っているだけでも、卵子の凍結の過程にいる社員が2人います。20代後半から30代前半のパワフルな女性たちで、パートナーがいなかったり、まだ結婚していなかったりです。子どもはまだ産みたくないけれど、後から産みたいと思った時のために凍結しています。
コロナが世界の状況を変える中で、私たちの社員もどのように人生の時間を過ごしたいかということを、真剣に考えているのだと感じます。卵子凍結もその一環で、「後々のことを考えるとやっておこうかな」という女性社員が確実に増えています。
また、不妊治療では、一緒に働いている同僚が福利厚生のサポートを利用して子どもを出産しました。彼女は、体外受精を2回行いました。1歳になったばかりの男の子の誕生日パーティーの写真を見せてくれたのですが、顔中にケーキをつけて本当に可愛らしい赤ちゃんでした。
彼女は、「もし私がスラックで働いていなかったら、息子を産めなかったかもしれない。自分で全てのお金を賄えなかったから。」と言っていました。
人事部で仕事をしていて、このような社員の話を聞くととても幸せな気持ちになります。
みんなの利益を最大化
──でも、このような手当を悪用する人はいませんか。福利厚生だけ使って会社を辞めてしまうとか。
そうですね、確かにそういう懸念もあるでしょう。社員になった初日から、福利厚生は利用できます。でも、私たちが社員の意思決定を行う際に考えるのは、「皆の利益になるための、最大公約数を考えること」です。
確かに、福利厚生を利用して、施術が終わった次の日に辞めてしまう人もいるかもしれません。でも、それはそれで仕方がないのです。悪用するかもしれない少数の人を見て制度を取り締まるのでなく、多くの人が最大の利益を得られるように制度を設計するべきです。
また、もし福利厚生を利用するような人がいたとして、その人がスラックを去ったとしても、福利厚生には感謝している可能性がありますよね。その経験を友人に話すのであれば、巡り巡ってスラックのブランド価値の向上につながることもあるでしょう。
──「企業がそこまでするのか」、という見方はアメリカにはないのでしょうか。
会社が社員の人生全体を考えているということは、もはや当たり前のことになっていくのではないでしょうか。そして、私たちの役割は、彼らがどんな人生を歩もうとも、そのための選択肢をできるだけ多く作ることです。
その上で、仕事を優先させるか、家庭を優先させるか、決めるのは社員それぞれの決断なのです。