ドクターインタビュー

【前編】杉山産婦人科 杉山力一理事長|スーパーマンを見てこの世界にはまった

6組に1組が不妊治療を受けると言われる日本。

妊活や不妊治療の現場の医師たちは、どんな想いを持って最前線に立っているのでしょうか。

普段は語られることがない、ドクターのパーソナルストーリー、第二話(前編、中編後編)は、杉山産婦人科グループの杉山力一(りきかず)医師です。

産婦人科医の祖父から継いだ70年の経験と最先端技術を組み合わせ、日本の生殖医療を大きく変えてきた杉山医師。なぜ、この世界にどっぷりとはまったのか、その理由を語り尽くします。

杉山力一
専門は不妊治療および産婦人科。1994年 東京医科大学医学部卒業。2000年、北九州セントマザー産婦人科で研修、田中温院長の情熱に感銘を受ける。2001年、不妊治療専門の「杉山レディスクリニック」を開院し、2007年に産婦人科総合施設「杉山産婦人科世田谷」を開く。現在、丸の内と新宿にも医院(クリニック)を持つ。

「スーパーマン」に出会う

──小さい頃から多くの医療関係者に囲まれていたそうですね

祖父が約70年前に東京都杉並区和泉で産婦人科を開業しました。

そこには、看護師の方や職員の人が常に私の周りにいました。出産は24時間体制なので、看護師さんも住み込んだりしていたのです。小さな頃から、職員の人たちと旅行に行ったり、可愛がってもらった。

産婦人科はアットホームな雰囲気がありましたね。その中で、産婦人科医になるのは当然だと思って育ったのです。

──その後、不妊治療を専門にしたきっかけは何だったのでしょう。   

東京医科大学でも不妊治療・体外受精を専門に研究していたのですが、もっとこの分野について学びたいと、2000年、北九州市のセントマザー産婦人科に4カ月の留学をしました。

セントマザー産婦人科は、日本の生殖医療を行う二大巨頭の一つで、西日本で最大の医院です。日本の不妊治療の患者さんの半分が、この二つの医院のどちらかにかかっていると言われるほどでした。

そこで一手に、患者さんを診ていたのが田中温院長です。ものすごく刺激を受けましたね。

とにかく日中は、患者さんを診察、夜はマウスを使って生殖医療についてコツコツと研究されていました。新しくわかったことを、どうやって人間に応用できるのかを論文に書いて、世界と勝負していたのです。

300〜400人のスタッフがいて、全員が稼働しているのですが、とにかく重要なところを全部自分でやるのです。寝ている時間以外は、本を読んだり、受精卵を培養したり、体外受精に関わることをずっとやっていました。まさに「スーパーマン」のような先生でした。

新しい医療を生み出そうという田中先生の姿を見て、私は「医師たるもの、これくらいするのが当然」だと勝手に思ってしまった。

感動して、田中先生のようになりたいと思ったというより、日本人特有の目の前の人について行ってしまったという方が近いですね(笑)。

1つではない「答え」

──診察する上で、大切にしていることはどんなことでしょう。

患者さんの状況は個人によって違います。他の医療だと、問診票と血液検査を見て、おおよその治療方法が決まりますが、不妊治療はそうではありません。「答え」はたくさんあるのです。

妊娠がゴールであっても、自然妊娠がいいと思っている人、体外受精からすぐに始めたいという人、また体外受精で何度も失敗して私たちのところにいらっしゃる人、理由は本当に様々です。

患者さんがどんな治療を望んでいるのか、心の内を初めから聞き出すのは難しい。話しながら顔の表情、声のトーンを見てたくさん質問していきます。

東京の都心だと共働きの夫婦が多く、時間をあまり掛けられないので、お金は少し張っても高度な治療を望む人が多い傾向にあります。

そういった患者さんのニーズを感じ取ったら、こちらもパパッとスピードアップして、「これでいきましょう!」と最初から体外受精の提案をするようにしています。

最近では、患者さんも非常に勉強していて「海外でこういう治療をしています」と、しっかり意見を持っている人も少なくありません。その治療をやる、やらないは別として、広い知識を持っていないといけないと感じます。

患者から新しいことを知るということもありますし、医師もボーッとしていると、業界で置いていかれてしまいます。油断はできない、非常に緊張感がある現場なのです。

中編へ続く──

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