6組に1組が不妊治療を受けると言われる日本。
妊活や不妊治療の現場の医師たちは、どんな想いを持って最前線に立っているのでしょうか。
「ファティリティクリニック東京」の小田原靖院長のライフストーリー、後編は、オーストラリアで学んだ医療チーム作りをはじめ、理想のクリニックに賭ける熱い想いを伺います。(前編はこちら)
日本にも「チーム」を作る
──クリニックを作る時に目指したのはどんなことでしょうか。
クリニックを作る時には、オーストラリアで学んだ「チーム医療」を目指したいと思っていました。
そうなると、チームリーダーを育成しなくてはいけません。看護師として、どう患者に向かい、リーダーのポジションも担っていくのか。
ロールモデルのいない日本ではわからないわけです。そこで、看護師にもトレーニングを積んでもらう必要があると思いました。
早速、リーダーになってもらう看護師に、イギリスのロバート・エドワーズ教授が創設したボーン・ホール・クリニックに研修に派遣しました。
注:ロバート・エドワーズ教授:1987年、世界で初めて体外受精による子どもの誕生を成功させた。
ボーン・ホール・クリニックでは、看護師がナースステーションと共に、医師と同じような部屋も持って、患者をコントロールしていました。まさに、そういう現場を学んで欲しかったのです。
そのリーダーの育成から25年。皆が対等に、やりがいを持って仕事ができる組織をどうやって作り、継続していけるのか。
そこで、私たちは2003年に、品質マネジメントシステムに関する国際規格「ISO 9001」を取りました。一貫した質のサービスを提供し、顧客満足を上げるため、この規格に沿って常に改善をしています。
そうすることで、人が入れ替わっても質の高い治療・サービスが保たれるのです。
チキンファクトリーじゃない
──HPの冒頭に「気持ちを大切にする」という言葉があり印象的でした。
患者の人たちが、不妊治療クリニックに来る時の満額回答は、「出産」でしょう。
そのために私たちも努力しますが、残念ながら、100%成功するものではありません。3分の1くらいは出産に結びつかない。
その時に、患者さんの要望をしっかり聞いて、満足度を上げるというのはとても大切だと思っています。
患者さんから見れば結果が出なくて、腹立たしいということもあるかもしれません。でも、「ここで治療できて良かった」、と思ってもらえるようでありたい。
患者さんの様々な気持ちに対して、自分たちがどれだけのことができるのか、また、できたのかが大切だと思うのです。
ただ、妊娠すればいいということではないのです。
私たちはチキンファクトリーではありません。単に、卵を作る工場ではないんです。結果はもちろん大事ですが、満足してもらえたかどうかが、大切なポイントとしてあります。
満足してもらえたかを、どうクリニックで評価して、運用に生かしていくのか。それが、「ISO 9001」を含めたマネジメントになります。
プロセスをちゃんと見て、「P(計画)→D(実行)→C(評価)→A(改善)」を繰り返していく。
患者さんからの希望に対して、カウンセリングが必要なのか、それとも看護師が必要なのか。一つづつきちんと考えて対応する、それがクリニックの使命です。
座右の銘は「謙虚であれ」
──医師としてやりがいを感じる瞬間を教えてください。
私たちの持っているスキル、経験、知識を生かして、ピースをうまく合わせることで妊娠に至った場合、これは医師冥利に尽きます。
一方で、科学で説明できない、神のみぞ知る領域というのもあります。
説明がつかないけれど、想像していないところで、ポンッと妊娠する場合がある。努力は常にしていても、その努力と違う力学が働くこともあるのです。だから、医者は謙虚でないといけないと感じます。
最先端の知識があっても壁にぶつかったり、意外なところで道が開けたりする。常に、私は学ばせていただいている気持ちです。
──多くの患者さんの中で、記憶に残っている方はいますか。
苦労して、苦労して、19回目の胚移植で妊娠・出産された方がいます。
38歳の時に初めてクリニックに来て、43歳になるまで5年間ほど通われた女性です。
彼女は、ある時「ダメだったので、違うところに行ってみます」、と私に相談してきました。
「そうだね、行ってごらん。そこでどうだったか教えてね」と送り出したら、少しして「先生、また戻ってきました」、という患者さんでした。
当時は胚を長く培養し、着床する直前に子宮に戻す「胚盤胞培養」もなかったし、体外受精で得た胚の染色体数を移植前に調べる検査「PGTA」もありませんでした。
彼女を、今の技術で治療したら、もっと早く結果が得られたのではないかと思います。
この患者さんのパートナーはとても素敵な人で、彼のサポートがとても強かったですね。19回目まで、本当によく付き合ってくれたなという感謝の気持ちです。
二人三脚で臨む
──パートナーの男性の取り組みにも変化はありますか。
不妊治療になると、男性は治療に深入りせず、女性に任せるというのが昔は多かったように思います。
でも、ここ5年ほどは、パートナーの男性も治療に積極的に参加することが増えています。
私たちのクリニックは、胚を子宮に移植する段階で、パートナーの立ち会いを許可しています。立ち会いを希望する人は、ものすごく多くなっています。
移植の時でなくても、採卵に来たり、採卵に関わる自己注射を手伝ってくれるパートナーもいます。
不妊治療に、夫婦2人が協力して臨む。こういったカップルが増えてきているのはとても良いことだと感じています。
気持ちをうまく切り替える
──医師の生活、オン・オフをどう切り替えているでしょうか。
私たちの仕事は、患者さんにとても感情移入します。1日診療をしていると妊娠判定が出ている人と、うまくいかなかった人がおられるわけです。
うまくいかなければ、次に何をしたらいいのかと考えます。正直に言うと、僕らも決して強い人間でない。だから、結果を見てストレスを抱えてしまう時もあります。
この仕事を続ける上では、そんなストレスとうまく付き合うことも必要で、私はサーフィンをしています。波を待って、ぼーっとしてると、頑張って次に進もうと思える瞬間があるのです。
日曜日も診察しているので、休みは木曜日。波が良い日は、夏は朝2時半に家を出て、朝4時すぎからずっと海に入っています。海からはエネルギーをもらっていますね。
──1日のスケジュールについても教えてください。
朝は普通は5時起き、週3回は5キロメートル走ります。走らない日は筋トレです。7時15分にはクリニックに入って、1日の患者さんのカルテの予習、8時に採卵を始め、9時~6時までは診察します。
夜は何もなければ、家に帰って勉強をしています。
勉強といっても実は、ワインについてです。ワインスクールの講師もしているんです(笑)
WSET(Wine & Spirit Education Trust:ワインとスピリッツの教育企業合同)という、イギリスの国際的な酒類の教育機関があります。
そこがワインの資格を出していて、「レベル4:(最高レベルの一つ前の段階)」を狙って勉強中です。
ワインはストレス解放にはならないのですが、分析能力を鍛えることにつながります。様々な情報を手繰り寄せて、それを分析する力が付く。
脳の違う部分を使っていて、これまた勉強になります。
医療クリニックの底上げを目指す
──先生が目指す今後の生殖医療についても教えてください。
クリニックの生殖医療は、クオリティマネジメントが大事です。
採卵した卵子の取り違え、凍結させるための液体窒素の枯渇、洪水、地震といった天災も含む、リスクマネジメントが必要です。
そこで、不妊治療を専門とするクリニックが集まる団体「JISART(日本生殖補助医療標準化機関)」が2003年にできました。ここには今31の施設が集まっています。
ここでも、オーストラリアの方法を取り入れたのですが、質を保つために、3年に1度、監査チームが実際にクリニックに調査に行きます。
例えば、九州のクリニックを見る場合、東京の医師、大阪の看護師、鳥取の心理士のチームが監査に入り、クリニックの運営の仕方、妊娠成績なども全てチェックします。
その項目は約300にも及びます。
私はここで、5年ほど審査委員長をやっています。クリニックの質が大切なのにもかかわらず、質の担保について話し合うシステムがないのです。
不妊治療に大事な部分でありながら、その部分が日本の生殖医療システムでは抜け落ちている。
質の良いクリニックが、きちんと機能するように、仕組み作りでも貢献したい。そして、生殖医療クリニック全体の底上げもしていきたいと思っています。