「チクタク、チクタク、35歳になってタイムリミットの音が聞こえてきました。」
2020年、36歳になったバーニエデッテ・フローレスさんは、その年の8月に初めて卵子を凍結しました。彼女が卵子凍結のことを知ったのは10年前。
35歳から妊孕力(妊娠する力)が大きく落ちることを知っていた彼女は、その時までに何か手を打たないといけないという思いを持っていました。
「コロナ禍で、人に会うチャンスも減り、新しい相手に出会うのは難しい。時間が無駄に過ぎて、将来の子どもを授かるチャンスも同時に失っているような気がしました。」
コロナのパンデミックが、最終的に背中を押しましたが、今、バーニエデッテさんはこの選択が自分にとって最善だったと感じています。
自らの体験をシェアすることで、多くの女性にも様々な選択肢があることを知ってほしい。そんな思いから、彼女が卵子凍結までの経験を赤裸々に明かしてくれました。
パートナー探しは楽じゃない
私はカリフォルニア州サンフランシスコに住んでいます。テクノロジー関連の企業がひしめくエリアです。私自身も、テクノロジー企業で会計士として働いています。
はっきり言うと、サンフランシスコは上昇志向が強い人が多く、自分に合った人を見つけるのが本当に難しい場所です。
最近の女性は仕事もしているので、金銭的に自立しています。それもデートを難しくしているのかもしれません。
私は一緒にいたいと思える人に、これまで出会えませんでした。それでも、20代の頃は、まだ時間に余裕があると思っていたのです。
しかし、「35歳の崖」と言われるように、妊孕性は35歳を堺に大きく低下します。その年齢に差し掛かかり、だんだん焦ってきました。
良きパートナーを得て、家族を作りたい。それなら、このままではいけない、と思ったのです。
スペイン行きの計画が・・・
2017年と2019年に、意を決して大学病院に行きました。けれども、ビジネスライクな病院の対応は居心地が悪く、さらに治療費用も1万4000ドル〜1万7000ドル(約150万円〜185万円)と高額なものでした。
そんな頃、テレビで「卵子凍結ツーリズム」があることを知りました。スペインで卵子凍結の手術をするというもので、アメリカと比べて3000ドル(約33万円)ほど安いのです。
スペインでは卵子凍結に保険が適応されるため、多くの需要が生まれていて、そのため金額が安くできるという説明でした。
天気が良い場所で、バカンスを兼ねて2週間滞在するパッケージを選び、2020年春に渡航しようと決めました。気持ちは、もうスペイン・バルセロナに飛んでいました。
その直後、新型コロナのパンデミックが起きたのです。
もちろん渡航計画はなくなりました。しかも、人に簡単に会えない中で、将来のパートナー探しも難しくなっていました。でも、だからといって黙って時間が過ぎるの待つわけにはいきません。アメリカ国内で卵子凍結をできる場所はないかと探し始めました。
見つけたのは「カインドボディ(kindbody)」というクリニックで、そこでは自分の悩みを真剣に聞いてもらえました。ここでなら安心して治療ができるのではないか、と感じたのです。
また、パンデミックで家で仕事をするからこそ、治療を受けやすいという考えもありました。この選択はずっと考えていましたが、パンデミックがなければ一歩を踏み出せていただろうかと、今でも思ってしまいます。
涙が出てきた
卵子凍結のサイクルに入ると、飲み薬を飲んだり、自分で注射をしたりします。薬を注文すると、ちょっとしたパニック状態になりました。
「もう後戻りはできない」、という恐怖とでもいうのでしょうか。
それと共に、この治療が続けられるのだろうかと感情的にもなりました。
というのも、全ての工程を「自分で乗り切らなければいけない」と実感したからです。私は独身だから、このプロセスを一人でやらなければならないのか、と。孤独だとも感じました。
でも、これは私が将来のために選択できることでした。
どの薬をどのように注射するのか、用意されたビデオを見ながら一つづつ学びました。これは、意外と思ったよりもすぐに慣れます。ただ、最後に打つ注射は打つ時間がしっかり決まっていて、私の場合は針が通常よりも長かったので、少し泣いてしまいました。
注射や飲み薬を飲んでいる間は、気分にアップダウンがあったのは事実。ちょっとした感情のジェットコースターを乗り切り、気を紛らせるためには、仕事が大きな助けになりました。
手術の翌日から働けるのですが、私は2日間の休みをとって自宅で休息。それ以外は仕事を続けながら卵子凍結を終えたのです。
経験してわかったこと
人生のプレッシャーが減った気がします。キャリアも、人生の良きパートナーも見つけたい、その中で今すぐ「誰かを見つけなくてはいけない」というプレッシャーはなくなりました。
そして、凍結を終えて思うのは「なぜこんなに長く待っていたんだろう」ということ。想像したよりも、大袈裟なことではありませんでした。
初めての体験だったので、ドキドキすることや、無理かもしれないと思ったりすることもありましたが、「もっと早くできたはず」、というのが率直な感想です。
将来、子どもを授かる可能性を上げるために、もう一度採卵にチャレンジした方がいいとも思っています。
もし20代だったら、一度の手術で質の良い卵子を、より多く採卵できたはずです。考え方はいろいろありますが、私は融資を受けてでも20代で採卵した方が良かったかなと、今は感じています。
私の周りでは20代で、すでに卵子の凍結をした友達がいます。彼女の場合は、母親が26歳で閉経したという事情がありました。もしかしたら、遺伝で彼女も若くして閉経する可能性があったのです。
私に卵子凍結の話を声をしてくれた友人は、実際にクリニックに相談に行き、そこで「AMH(アンチミューラリアンホルモン)」の値が良くないことがわかりました。
これは「受精するために使える卵」がどれだけ残っているかを調べるもので、彼女は自分の体の状態を早く知り、次の対策を取ることができました。
私の体験談によって、一人でも多くの女性や家族が、卵子凍結に限らず、妊孕性のチェックを気軽に試してみようと思ってくれるのであれば、私の体験をシェアすることにも大きな意味があると感じています。
※この記事は記者のレポートであり、Grace Bankは編集を加えていません。