みなさまはじめまして。Grace Bankを運営する株式会社グレイスグループの勝見です。
目次
創業から1年半を振り返って
グレイスグループの創業は2019年の年末、会社設立は2020年8月、この記事を書いている2021年4月でまだ設立8ヶ月というよちよち歩きの会社ですが、周囲の環境も自分たちの会社の状況も、日々目まぐるしく変わっていきます。少しだけ立ち止まって、この1年半と、そこに至るまでの経緯を振り返ってみました。
生い立ちから大学時代
僕は1971年生まれで、2021年1月に50才になりました。生い立ちは、電機メーカー勤務の父と料理好きな母、読書と音楽とアートと植物が好きな3つ上の兄のいる、田舎のサラリーマン家庭で、両親の深い愛情を受け、取り立てて大きな反抗期もなくすくすくと育ちました(笑)。中高生の頃は、将来はマスコミ業界に就職して、雑誌の編集かテレビドラマの制作に携わりたいなあ、と漠然と考えていました。
▲大学1年生の夏休みのケニア旅行
1年間の浪人生活を経て大学に進学、1年次に学内と学外のマスコミ予備校に通うものの、そこで自分のクリエイティビティのなさを痛感させられることになり、マスコミ就職の夢は早々に方向転換しました(昔から切り替えの早いところは変わっていません)。それ以降の大学生活は、休みのたびにバックパッカーとして世界を放浪しつつ、合間にはレストランでバイトをしたり、飲み会中心のテニスサークル生活を送ったりと、典型的な90年代の文系学生、と言ったところでしょうか。
▲大学1年の秋休み、隣のクラスの川村君とスペイン階段で
▲語学のクラスの同級生と卒業式で
充実の石油会社時代とMBA留学
就職は、何となく将来海外で仕事をしたい、MBAも取ってみたい、でも寝ずに仕事に追われる環境はいやだなあ、くらいに思っていたところ、通っていた大学の中ではかなり稀少性の高い学部の先輩が採用責任者をやっていた石油会社にご縁をいただき、会社員生活をスタートしました。独立してからの僕を知っている方にとっては俄かには信じがたいかも知れませんが、新入社員時代は、会社のビルの鍵を預かって毎朝6時半に出勤、最初の上司になった方に可愛がってもらって、会社に行くのが楽しくて仕方がない、という毎日を過ごしていました。この時の上司だった池田道雄さん(元ENEOS取締役副社長)と今でも交流を持たせていただいるのは、僕のひそかな自慢です。
▲三菱石油時代の上司の池田さんのご自宅の庭でバーベキュー
石油会社に入社して3年経った年の秋に、国内だけどクラスメートの7割と教授陣の大半は外国人、という少し変わったビジネススクールに社費で留学をさせてもらい、バルセロナでの半年間の交換留学も含め、2年間の学生生活を満喫しました。留学(遊学?)期間中は、楽しかった会社に戻ってバリバリ活躍することをイメージしていて、転職は頭をよぎったこともなかったのですが、たまたま僕が会社を離れていた2年間の間に、在籍していた石油会社が業界トップの同業他社に吸収合併され、カルチャーが180度変わってしまった新しい職場になじめず、戻って半年後に最初の転職をします。
▲バルセロナ留学時代の仲良しジュリアとホルヘ、彼らのフィアンセたち
転職失敗~うつ病との格闘
当時は、どうしてもこれがしたい、というよりは、とにかく前向きに仕事がしたい、自分で納得できる成果を出したい、という気持ちだけで、留学前の仕事で少しだけプロジェクトに関わった社外のコンサル会社の方々が活き活きと仕事をしていた記憶を頼りに、いわゆる外資戦略コンサルに勢いで転職をしました。しかしながら、与えられた職掌の中で自分のバリューを全く発揮できない、という人生最大の危機に直面、それまで築き上げてきたスキル、経験が実は空っぽだったのではないかという焦燥感と、強烈な自己不信、絶望感に苛まれ、いわゆる「サザエさん症候群」に陥ります。
結局、コンサル会社は7か月で離職、その後お世話になった半導体メーカー時代は、常に自分が自分でないような感覚で毎日を過ごしていて、明日が来なければいい、とか、核戦争でも起こったらいいのに、とかマジで思っていました。この時期の唯一の安らぎは、毎週土曜日の夕方に放送されている「人生の楽園」という番組(当時はいかりや長介さんと伊藤蘭さんのナレーションでしたね)を見ながら、こんな老後にタイムスリップしたいなあ、と想像する時間でした。今でも土曜日の夕刻に放映されているこの長寿番組を見ると、ふと当時を思い出して涙腺が緩むことがあります。
引用:https://www.tv-asahi.co.jp/rakuen/
うつ病回復~起業準備
うつ病からのリハビリ生活を1年ほど続けたある日、当時の職場の近くで週2~3回通っていたレストランのポイントカードにヒントを得て、突如起業を志すことになり、内外の先行事例をシコシコと研究した上で、ビジネスモデル特許を申請します。
これを基に、ベンチャーキャピタルやインキュベーターの方々にご提案に回ったことが2001年のヘッドハンターとしての起業・独立に繋がるのですが、この話は長くなるのでまた別の機会に(笑)。なお、この頃から、月に2~3回のペースで、自宅でのホームパーティーの開催をスタート、昨年のコロナ過のピークの時期に1ヶ月ほどお休みをいただきますが、それ以外は欠かさず20年以上に亘って、毎回半分は新しい方をお招きする、というのを唯一のコンセプトに、集まりを開催し続けて今に至ります。
▲UK CLASSIC FACTORY墨田ガレージに並ぶ英国で仕入れた車両たち
ヘッドハンターとしてのそれなりの成功と。。
2001年11月に独立して以降は、それまでの1年半のうつ病生活が蜃気楼だったのではないか、というような立ち直り振りを見せまして(笑)、人材紹介/キャリアコンサルティング事業を一人稼業で粛々と続けつつ、東京/ハワイ島の二拠点生活、東京/沖縄のダイビングを軸にした二拠点生活、ベンチャーの立ち上げ支援、婚活支援、音楽事務所の経営支援、文科省の「トビタテ!留学ジャパン」の立ち上げ支援、赤阪BLITZでの音楽ライブ主催、日本ガストロノミー協会の立ち上げ、英国製少量生産車の輸入販売、eモータースポーツ事業の立ち上げ、軽井沢駅前でのレストランの経営と、好奇心とフットワークを頼りに様々なチャレンジに取り組んできました。
▲2020年4月オープンのスパニッシュレストラン「ハナレ軽井沢」
人生100年時代の後半生を迎えて
独立してからの20年は、小さな挫折や失敗は数えきれないくらいありますが、人の縁に恵まれてそれなりに充実した時間を過ごし、何より三人の娘を授かることができ、子供たちのために明るい未来の日本を残したい、ということを折に触れて考えるようになりました。人生100年時代の折り返しを迎えて、後半生で少し大きめのチャレンジをしたいなあ、とフワッと思っていた中で、2019年の年末に友人たちのキャリア相談を受けながら六本木ヒルズでランチをしている時にたまたま卵子凍結の話題になり、アメリカでは2014年にFacebookが福利厚生として社員の卵子凍結の費用を全額負担する制度をスタートして以降、採用とリテンション(転職しないように引き留めること)に効果的な制度ということで、GAFAを初めとした優良企業での導入が相次ぎ、いまや一般的な福利厚生制度の一部になりつつある、ということを知りました。
不妊治療経験者、キャリアコンサルタントとして
僕自身が、妻と不妊治療に取り組んで3ヶ所のクリニックにお世話になった末にようやく子供を授かったこと、またキャリアコンサルタントとして多くの女性からキャリア相談を受ける中で、女性のライフプランにおいては、結婚・出産・育児のタイミングをどうするか、という大きな課題が、男性とは比較にならない重さで常にのしかかってくる現状、キャリアを優先した結果、婚期を逃したり、不妊治療で苦労をしながら結果的に子供を授からなかった女性の話をあまりにもたくさん聞いてきた経験から、ここで知った「卵子凍結」というソリューションに強い興味を惹かれました。
三人の娘が通う学校の父親仲間と話をすると、かなりの確率で不妊クリニックへの通院経験があることは肌感覚でも分かっていましたが、実際に調べてみると、現在の日本は世界最大の不妊治療大国で、年間45万件の体外受精が行われている一方(2位のアメリカで28万件、共に2017年)、出産に至る確率は諸外国と比べてもかなり低いこと、その大きな理由が不妊治療を始める年齢の遅さにあることが分かり、背景には、性教育や妊孕性(妊娠するための能力)に関するリテラシーの低さ(こちらも諸外国と比して低いという国際調査があります)があることも見えてきました。
医学リテラシーの低さと卵子凍結
日米の不妊治療についてリサーチをする中で、シンプルに衝撃を受けたのはこちらのグラフです。アメリカの政府機関であるCDC(疾病予防管理センター)によるデータですが、若い女性(平均28才)から卵子提供を受けた場合(アメリカではドナーからの卵子・精子提供も一般的です)、40代後半の方でも20代とほとんど変わらない確率で出産できることを示しています。
この医学的エビデンスに卵子凍結というソリューションを掛け合わせ、同時に日本で明らかに遅れている妊孕性についてのリテラシー向上に向けた啓発活動を企業への福利厚生の導入提案と絡めて推進すれば、即効性はなくとも、5年後、10年度に不妊治療で苦しむ女性の数を減らせるのではないか、女性がより活躍しやすい世の中に変えていけるのではないか、日本が直面する最大の社会課題である少子高齢化の解決の一助になるのではないか、というアイデアが、夢中でリサーチを進めていく中で、次第に強固になっていきました。
50才を目前にベンチャー立ち上げ
そこから、元々プライベートで懇意にしていた産婦人科、生殖医療の専門医の友人たちのアドバイス、サポートを得つつ、ドクターや培養士、医療機器メーカー、ジャーナリスト、不妊治療経験者、クリニック開業コンサルタントなど、生殖医療にかかわる様々な立場の方々へのヒアリングを通して、医療者ではない我々の立場でどんなことができるのか、ということを思いつく限りで並べ、是々非々でディスカッションを続けながら、実現に向けて試行錯誤を続けました。何度か大きな壁にぶち当たり、事業化を諦めかけた局面もあったのですが、結果的に、しっかりした倫理観を持ち高い水準の医療を提供する厳選クリニックのネットワークの構築と、凍結卵子の保管体制の抜本的な見直しによる安全性の向上とコストの低減により、将来安心して不妊治療に取り組めるインフラを整備することを事業の最初の目標において会社を設立することを決めました。
20年間の様々な出会いに導かれて
このビジネスモデルがようやく固まってきたのが2020年の夏、長期間に亘って大事な凍結卵子を預かる事業を行う以上、財務基盤の安定は至上命題となることから、複数のベンチャーキャピタリストに出資の可能性を打診したところ、いずれの方からもおかげさまでかなりポジティブな反応を得のですが、かねてからお付き合いがあり、医療分野での投資・上場経験もお持ちのインキュベイトファンドのGPである本間真彦さんから出資をしてもらうことになりました。併せて、日本の生殖医療の最前線で活躍する専門医の方々の経営への参画、20年間無事故で臍帯血バンクを運営してきた株式会社ステムセル研究所との資本業務提携により、現時点で考え得るベストの座組で事業のスタートが切れたと思っています。今回の事業を支えるネットワークの端緒を振り返ると、一つ一つは本当に偶然の積み重ねで、出会いと別れの織り成す人生の多様性に、改めて思いを致さざるを得ません。
これからのGrace Bank
とは言え、Grace Bankの事業はまだまだ端緒についたところです。これからいよいよ企業やクリニックでのセミナーの開催、オンラインカウンセリングのプラットフォーム立ち上げ、各種媒体との連携してのマスメディアからの発信を通して、女性の医学的機能や妊孕性についての日本社会のリテラシー向上に努めつつ、卵子凍結だけでなく生殖医療全般について、不妊治療を受ける女性だけでなく、将来の出産を考える全ての女性が利用しやすい医療プラットフォームの構築と整備に全力で取り組み、株式会社グレイスグループのミッションである「女性が願うあらゆるライフプランが社会的制約なく叶えられる未来の創出」を目指して、日々邁進していきたいと考えています。