2007年に福岡に開院した古賀文敏ウイメンズクリニック。古賀院長のフルネームが使われたクリニック名には、初診から体外受精の治療までのすべてを、院長自身で診ていきたいという想いが込められています。その想いのとおり、開院当初は古賀院長ひとりで、診療から培養まで、すべてを担われていました。現在では、さまざまな方面との繋がりを縦に広げ、妊娠前から出産後までの継続したケアで、女性のヒストリーを長くサポートしています。
“食事は、何を食べるかよりも、誰と共にするかを大事にしている”というお話からも、人に仕事に丁寧に向き合い、人生という時間を大事に考えられている姿勢が伝わってきました。古賀院長が生殖医療に携わるようになったきっかけやクリニックに込められた想い、診療において大切にしていることなどについて、詳しくお話をうかがいました。
目次
NICUの小さな赤ちゃんたちを守りたい、その思いから産婦人科医の道へ
医師としての道を進んでいく際に、最初に携わりたいと思ったのは新生児医療です。NICUの小さな赤ちゃんたちの命を守りたいという思いがありました。
私自身が生まれたとき、命に関わる危険な状態だったそうで、母親から「あなたは一度亡くなってから生まれたんだから、生きてるだけで私は幸せ」とよく言われており、切羽詰まった状況において、母親に言われた言葉を思い出して「生きているからいいんだ」と乗り切れた場面が何度もありました。この母親の言葉が、新しい命に関わる新生児医療の道に興味を持つようになったきっかけのひとつだと思います。
大学卒業後は、当時日本で最も大きいと言われるNICUを持つ聖マリア病院で研修も可能な久留米大学産婦人科学教室に入局し、産婦人科から新生児医療に携わる道を選びました。不妊治療による多胎妊娠が多い時代で、私が担当した患者さんの中にも、長い不妊治療の末に4つ子を妊娠された方がいらっしゃいました。その患者さんが450gと非常に小さな赤ちゃんを出産することになる現実を見て、不妊治療の大変な状況にも関心を持っていきました。
不妊治療に携わるきっかけをつくってくださったのは、当時、国立小倉病院の医長を務められていた小田高明先生です。統廃合によって国立小倉病院の存続が危ぶまれた際に、新たな改革として、まだ日本になかった成育センターの設立を提案され、産科と生殖医療を担う施設が実現することになりました。その際の立ち上げメンバーとして私をご指名頂きました。その期待に応えるべく、複数の病院に行って生殖医療を学び、不妊治療に携わるようになりました。
生殖医療との向き合い方や学会発表の機会など、生殖医療における多くの学びを授けてくださったのは、日本の生殖医療界でレジェンドと称される慶応義塾大学の指導者で生殖バイオロジー東京シンポジウム代表の故・鈴木秋悦先生です。先生のご子息と間違えられるぐらい本当に可愛がって頂きました。このお2人の先生方は、メンターとして、現在の私へと導いてくれた本当に大切な存在です。
女性をはじめ、どなたも心地よく感じられる空間づくり
クリニックを設立するにあたり、女性の尊厳を大切にできる空間づくりにこだわりました。
今でこそ、不妊治療をしていることを親しい人に話せる時代になっていますが、少し前までは、職場の誰にも治療のことを話せず、病院には深く帽子をかぶって通院し、待合室で名前を呼ばれると萎縮せざるをえないような時代でした。今まで自信を持って歩んできた道のりも不妊治療の現実のなかで、彼女らの自尊心を砕き、アイデンティティが揺らいでいる場面に多く出くわしました。その状況をなんとか打ち破りたいために、来院する方が自分自身を認められる空間にしたくて、狭くて窮屈な椅子ではなく、ゆったりと座れる椅子を選び、プライバシーを確保できるゾーニングにも力を入れました。
この際ただ煌びやかな高級感ではなく、上質で多くの方が心の穏やかさを取り戻せる空間をめざしたいと思いました。この私の思う心地良さについて、日本でも四つ星ホテルを多数手がけられたイギリスのGA DESIGNのテリー氏にご理解頂き、奇跡的にインテリアの基本設計をお願いできました
空間においてはプライベートスペースを大切にしています。診察室の声や他の人と目が合う気まずさを感じることの多い中待合はつくらずに、涙を流しているときでも、まわりの視線を気にせずに気持ちを整えられるスペースを診察室前に設けました。ケアや注射やカウンセリング、看護師への相談は、すべて個室を確保しています。お子様をお連れの患者さんもキッズルームを設けて、一人目の方をお望みの方とバッティングしない導線を配置しました。
また、採卵後の部屋には、ご主人と一緒に過ごす時間を大切にしていただくために、男性が同席できるスペースを用意しました。最近増えている外国出身のパートナーの方にとっても「妻に寄り添うために自分もここに居ていいんだ」と思える、安心して過ごせる場となっているようです。
患者さんにとって次に進むための道しるべとなる診療を
不妊治療は成功率が20%、30%という厳しい現実があり、43歳以上だと妊娠が難しいケースも多く見受けられます。治療には費用や時間がかかるだけでなく、夫婦関係にも影響が及ぶ場合があり、患者さんは苦しい思いをされながら治療に臨まれています。
他のクリニックで治療を受けた後に、私のクリニックに来院される方も多く、私はいつも、当院で最後の治療にしたいという気持ちで日々患者さんと向き合っています。たとえ治療がうまくいかなかった場合でも、不妊治療ですべてを失ったという結果にならないように、患者さんが次に進む道しるべとなるような関わりを大切にしています。
以前、8度の流産を経験されて私たちのクリニックに来られた患者さんで、9度目も体外受精で再び流産になった方に私は「もう1度治療をチャレンジさせていただけないでしょうか」とお話をして、チャンスをいただいたことがあります。患者さんはもう治療をやめようと思われていたようですが、私を信じて治療を受けてくださり、9回の流産を乗り越えて出産されました。
この経験から、諦めずにチャレンジするには、治療の技術だけでなく患者さんとの信頼関係が非常に重要だと感じました。来院いただいた方のこれまでのヒストリーをお伺いして信頼関係を築きながら、患者さんのこれからを考え、治療を進めていく姿勢を大事にしています。
女性のヒストリーを長く応援していきたい
私たちのクリニックでは生殖医療を提供していますが、それ以前に、夫婦の関係性や女性の栄養、妊娠後の胎児ドック、助産師・保育士による産後ケアや育児支援、トレーニングジムとの提携など、妊娠前から出産後まで継続した支援を行っています。
何度も治療に成功されていない方は妊娠してもいつか流産してしまうのではないかという不安から出産準備を進められなかったり、体外受精で妊娠・出産に至っても、何か問題が起こるのではないかと育児に打ち込めなかったりするケースも少なくありません。皆さん、何か悲劇が最後に起こるんじゃないかと笑顔を消されているのです。
そのような不安を取り除き、前に向かって進んでいただきたいという思いから、早期の胎児ドックの提供を通して、赤ちゃんの健康状態の確認だけではなく、安心感を得ていただける環境を整えています。
最近では、妊娠を計画するためには体づくりが大切だと痛感し、色々な栄養状態の指標を調べて不妊治療の成績との関連を客観的に研究、啓蒙しています。
一般的には長生きするためには痩せている方が良いと思われがちですが、モデル体型と表現されるようなとても細い体型の人は、卵子の数が少ない傾向がみられ、2人目を妊娠しづらい方も多くいらっしゃいます。一方で、ふくよかな体型の人は、子どもが3人いる方も多く、妊娠しやすい傾向がみられます。最近の研究で、長生きするための栄養と妊娠に適した栄養は違うことが認識されていますが、まさに私たちのデータもそれを示しています。プレコンセプションケアという言葉をお聞きになった方も多いと思いますが、妊娠するための最適な栄養を知ることが大切です。
一人一人遺伝的背景も違いますし、生活環境も違いますが、今の栄養状態を客観的に調べて補正していくことが大切だと思っています。こうしたことから、不妊治療は、高度な生殖医療の技術だけでなく、妊娠する前からの体づくり、そして不妊治療中の適切なコミュニケーションや胎児診断、そして出産後の産後ケアまでずっと繋がっていきます。女性の心を大切にして、その方のヒストリーを長く応援していきたいと思っています。
もっと自由に妊娠やキャリアを選択できる社会に
女性の選択肢を広げる意味でも、医学的適応による未受精卵子凍結も含めて、卵子凍結に関わりたいという思いはありました。ですが、私一人のクリニックでは、10年後に私が絶対生きている保証はないため、お預かりした卵子を10年、20年、30年と責任を持って保管可能かという点が不安でした。
卵子を保管する重みを考えると、ひとつのクリニックが責任を持つのは現実的に難しく、海外のように企業や国で特別な施設をつくり、管理する体制が必要だと考えます。グレイスバンクのような卵子を預かる施設があれば、適切な時期に必要な医療を提供することで救える方がいるかもしれないと期待しています。
ノンメディカルな卵子凍結と言われますけれども、ノンメディカルだから重要性が低いというわけではありません。切実な思いで意を決して卵子凍結を選ばれた先に、救われる方もいらっしゃると思います。
卵子凍結が絶対によいというわけではありませんが、私たちが選択肢の多様性をつくり、それぞれの方に合う医療を提供できるようにしていきたいと考えています。
日本生殖心理学会の理事長に就任した際には、多様性を尊重する社会をバックアップすることが私の使命だと思って活動してきました。患者さん自身の卵子で不妊治療がうまくいかなかった場合にも海外までドナーを求めに行くことなく、日本国内で賄えるように法制度の改定に向けて、国会議員の先生方と協議を重ねているところです。
女性が能力を発揮できない男性中心だったころの社会に比べると、現在は、女性が活躍できる時代になってきたと感じます。しかし女性の妊娠・出産とキャリアを両立させるのは今でも障壁が多いと感じます。
女性が素晴らしい才能を自由に発揮でき、社会進出できる社会、そして、妊娠したい女性が好きな時期に妊娠・出産でき、キャリアや可能性をあきらめることがない社会をつくれたらいいなと思いながら日々取り組んでいます。
※この記事は2023年8月のインタビューを元にしています。最新の情報はクリニックHPをご覧ください。
※古賀文敏ウイメンズクリニックのHPはこちら:https://koga-f.jp/