人間の生殖能力の老化や更年期障害を遅らせることができたらーー。
もし現在のテクノロジーでできないことが可能になれば、私たちの抱える多くの問題も変わってきます。
アメリカでは、2020年に「ガメト(Gameto)」という生殖医療のスタートアップが生まれました。この企業は、女性の健康と人生の選択肢を広げようと、卵巣が老化する謎を突き止め、その老化のスピードを変えようとしています。
生殖医療の限界を超えようとするガメトは、どのように生まれ、どうやってその壮大な構想を実現しようとしているのでしょうか。
老化を止める
日本では6組に1組が、そしてアメリカでは8組に1組が不妊治療に悩んでいると言われています。その理由は様々ですが、大きな理由の一つは卵子の老化です。
女性は生まれた時に、約200万個の卵母細胞(後に成熟した卵子細胞になる細胞)を持っています。しかし、卵母細胞は増えることはなく、時を経るごとに減少していきます。卵母細胞がゼロになると、閉経が訪れます。妊娠できる年齢が限られているのも、この卵母細胞の数が減っていくからです。
また、卵巣の老化が引き起こす問題は、生殖機能だけではありません。更年期障害にも関係します。
更年期障害は、閉経期前後の約10年間に卵巣ホルモンであるエストロゲンの分泌が急激に減少することによって、ほてり、発汗、めまい、動悸といった症状を引き起こします。
それだけでなく、更年期障害の発症は血圧の上昇、悪玉コレステロールなど、多くの健康状態と関連し、乳がん、心臓病、骨粗しょう症のリスクが高くなるとも言われています。
がんの早期発見や新陳代謝の向上など、さまざまな研究は人間の寿命を延ばすことに貢献してきました。しかし、卵巣は、肝臓や脳、あるいは皮膚などよりもはるかに早く機能が停止するという意味で、どの臓器よりも5倍も早く老化しています。
そして今のところ、このスピードを遅らせる方法はないのです。
しかし、ガメトのトップであるディナ・ラデンコビッチCEOはまさに、卵巣機能の老化は、健康や寿命の問題なのだと話します。
「閉経は人類と4種類のクジラだけに起きる現象です。進化の上で「必然」ではありません。また、閉経年齢が女性の寿命に影響を与えていて、閉経年齢を遅らせれば、女性の健康寿命を延ばせるということも、ほとんどの人は知らないでしょう。」(ディナ・ラデンコビッチCEO)
そしてガメトの使命は、生殖機能の老化や更年期障害の時期は変えられることを、多くの人に知ってもらうことでもあるといいます。
「私たちがしようとしていることは、妊活だけでなく、健康や寿命に関わることなのです。」(ディナ・ラデンコビッチCEO)
卵巣の「リプログラミング」
ガメトは細胞の初期化(リプログラミング)という技術を応用して、卵巣の初期化細胞を作っています。「初期化」というのは、細胞がそれまでに受け継いできた情報を消去して、どんな細胞にも変化できる能力を取り戻すことをいいます。
どういうことか、少し詳しく説明しましょう。
どの細胞も基本的には同じ遺伝情報を持っています。それでも、ある細胞は、皮膚になったり、ある細胞は髪の毛になったりします。いきなり、爪になったり、目になったりはしません。その細胞の違いは、持っている遺伝子に使うものと、使わないものがあるからです。
ガメトは、細胞がどの遺伝子を使うかという情報を初期化して、本来の細胞の持つ能力を最大限引き出し、皮膚にも、髪にも、爪にもなれるようにした細胞を使って研究しています。現在は、卵子の成熟に至る過程を再現しているようです。
研究はまだ始まったばかりで、ラデンコビッチCEOは具体的な内容を明かそうとはしませんが、新たに作った細胞を使って、体外受精の回数を減らすことができるかどうかをテストしていると話しています。
妊活とキャリアの両立
医学博士であり、生物学と情報学を駆使するバイオインフォマティクスの研究者、そして数学と科学が大好きだという、ラデンコビッチCEO。
その彼女がガメトを立ち上げようと思ったのは、自分の妊活の年齢とキャリアの選択という問題に、自身も悩みを持ったからだといいます。
「バイオテクノロジー企業を立ち上げたいという思いがありました。一方で、卵巣の老化に何ができるのだろうと…パートナーもいない…この問題ををどう解決したらいいのだろうかと、問いが頭から離れなくなりました。」(ディナ・ラデンコビッチCEO)
周りの女性に話を聞いてみると、キャリアとプライベートの両立について、彼女と同じような悩みを抱えている人がとても多いことに気がつきました。
「人生100年時代と言われているのに、キャリアと家族計画の決断を早くから迫られるのは、とても不公平な気がするのです。」(ディナ・ラデンコビッチCEO)
また彼女は、卵子凍結や体外受精のような不妊治療技術が今の選択肢になっていても、一定の年齢を経た人は治療の対象になりずらいことが問題だといいます。
つまり、40代後半になってしまうと、卵子凍結という選択肢や、不妊治療という選択肢が事実上なくなってしまうのです。本当に全ての女性に生殖の選択肢を与えるのであれば、「卵巣の老化」に着目し、生物学に目を向けるべきだというのが彼女の主張なのです。
続々と集まる注目
ガメトには、アメリカで不妊治療センターのネットワークを構築した業界の先駆者、「プレリュード・ファーティリティ」の創業者のマーティン・ヴァルサヴスキー氏も共同創業者、会長として名を連ねています。業界のビックネームも注目をひき、2022年1月には2000万ドル(約23億円)の資金を調達しました。
生殖医療、そして卵巣の老化という分野には、少しづつ新しい企業も誕生しています。多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)の次世代の治療法や、卵巣の老化を研究する企業「セルマティックス(Celmatix)」という企業も注目されています。
まだ、私たちが日常生活で使えるような薬剤や、治療になるには時間がかかりますが、セルマティックスは製薬大手バイエル、医薬品開発会社エボテックとの提携を発表するなど、着実に成果を出しています。
ガメトが取り組む課題は壮大ですが、そこに世界的なニーズがあることは明らかです。
人間の体の仕組みを変えられることになれば、今ある妊活や、不妊治療を根底から変えるものになります。もちろん、倫理的な問題も議論されることになりますが、そのようなテクノロジーが可能になったとき、私たちは家族をもつという選択をどう考えるのか、とても興味深い内容ではないでしょうか。