日本国の少子高齢化はもはや不可逆の勢いで進み、財務省の推計では、2025年には65歳以上の方ひとりを20歳から64歳の方1.8人が支える構図となっており、膨張する一方の医療費の削減と共に、少子化対策は待ったなしの状況にあると言えます。一方、世界経済フォーラムによる「世界ジェンダー・ギャップ報告書2021」によれば、日本の総合スコアは対象153カ国中120位、G7内ではもちろん、中国、韓国と比べても低い評価となっており、指標の妥当性の議論はさておき、女性の社会進出に大きな課題が残っていることも議論を待ちません。
不妊治療については、2021年の日本国内での体外受精実施件数は49.8万件(日本産科婦人科学会)と、同年度のアメリカでの実施件数41.3万件(CDC ART Report)と比べても人口比で圧倒的に多く、日本は紛れもなく世界最大の不妊治療大国です。しかしながら、高齢になってから不妊治療に取り組むケースが多いこと、卵子提供が一般化していないこと、一度に移植する胚の数が限られていること(日本では通常1個だがアメリカでは2~3個)などから、誕生する子供の数はアメリカの97,128人(体外受精あたり出産率23.5%)に対して69,797人(同14.0%)と、その成績が低いレベルに留まっているのが現状です。
このグラフは、体外受精の際に、自分の卵子を使用した場合と提供卵子を使用した場合の出産率の違いを年齢ごとに示したものです(米国CDC/疾病予防管理センター、2021年)。これを見ると、若い女性の提供卵子を使用した場合の出産率は、40代になっても30歳以前の女性とほとんど変わっておらず、加齢により妊娠・出産が難しくなる大きな要因が卵子の老化にあることが分かります。
卵子凍結について、米国生殖医学会は凍結融解卵子由来で生まれた子供に染色体異常、先天異常、および発育障害のリスクが増大することはないという見解を2012年に発表、この医学的な裏付けを背景に、2014年にはFacebookがいち早く福利厚生制度として女性社員の卵子凍結費用を上限2万ドルまで補助する制度を導入しました。これを受けて、Apple、Google、Yahoo!などのテクノロジー企業を中心に、多くの大企業で同様の制度の導入が進み、卵子凍結の症例数も加速度的に増えています。
翻って日本では、女性が自分の妊孕力(子供を持つ能力)を維持する有用な手段のひとつとしての卵子凍結の存在自体が、特に若い世代においては十分に認識されていない上、クリニック毎に大きく異なる料金体系や、不妊クリニックの敷居の高さ、また凍結後の卵子を長期間保管する際の費用の高さもネックになり、まだまだ本格的な普及に至っていないのが現状です。
人生100年時代を迎えた令和の時代、女性が自らの意思で自分のライフプランを選び取ることがよりストレスなくできる環境の整備に、
株式会社グレイスグループは全力で取り組んでいきます。
まずは、不妊治療領域の中でも、日本の少子高齢化問題の緩和に大きな可能性を持ちながら、
現状では国内での普及に弾みがついていない卵子凍結について、不妊治療の最前線で日夜奮闘しているドクター、
関連するテクノロジーや知見を保有する企業の経営者、女性の社会進出や働きやすさの推進・幸福度の向上に強い
問題意識を持った経営者の方々と柔軟に連携しながら、誰もが使いやすい
卵子凍結及び不妊治療の社会的インフラの実現に寄与していきます。
子供を持ちたいと願う一人でも多くの女性の夢がかなう未来の創出
妊よう性リテラシーの向上に日本で最も貢献する会社になる
・選択を応援する
・出会いから創造する
・周囲を幸せにする
・最速で行動する
・効率を追求する
東京大学卒業、国際大学MBA。三菱石油、ジェミニコンサルティング、インフィニオンテクノロジーを経て、2001年にジェイブランディングを設立、企業の採用支援、ベンチャー企業支援に携わってきた。2020年グレイスグループを創業、三女の父として、女性の活躍支援にライフワークとして取り組む。
東京大学大学院修士課程修了。NEC、野村證券を経て、上場後のクックパッドにて広報・IR・人事などバックオフィスのマネジメントを経験。2017年〜ポピンズシッターの代表取締役を務め、自身の出産を機に、当事者として子育てと仕事の両立に取り組んできた。2023年8月、グレイスグループに参画。
東京医科大学業後、一貫して生殖医療に従事、セントマザー産婦人科医院で体外受精の基礎を学ぶ。2001年杉山レディースクリニック、2007年杉山産婦人科世田谷、2011年杉山産婦人科丸の内、2018年杉山産婦人科新宿を開院。医療法人社団杉四会・杉一会理事長。一般社団法人日本IVF学会常務理事。
島根医科大学業後、京都大学産婦人科にて医学博士を取得。その後、神戸市立中央市民病院にて、兵庫県内初の顕微授精児誕生に貢献。2000年より順次神戸市に4つの不妊治療専門クリニック「英ウィメンズクリニック」を開院し、理事長として活躍。一般社団法人日本IVF学会理事長。
日本医科大学医学部卒業後、名古屋大学医学部産婦人科教室入局。岡崎市民病院産婦人科を経て、名古屋大学産婦人科学教室文部教官として勤務。その後、大垣市民病院産婦人科医長を経て、1998年、岐阜県大垣市にクリニックママを開院。一般社団法人日本IVF学会副理事長。
東京慈恵会医科大学卒業後、生殖医療の道へ。豪州メルボルン王立婦人科病院生殖生物学教室、PIVET Medical center、Murdoch大学等への留学を経て、医療法人社団スズキ病院産婦人科科長として、日本初の顕微授精児の誕生を主導。1996年、東京都渋谷区にファティリティクリニック東京を開院。JISART(日本生殖補助医療標準化機関)理事。
愛媛大学医学部卒業後、一貫して産婦人科医の道を歩み、東邦大学医学部にて医学博士を取得、日本不妊学会賞受賞。1999年、木場公園クリニックを開設して院長に就任、2019年にはつくば木場公園をオーブン。産婦人科医・生殖医療専門医・臨床遺伝専門医・MBA。
金沢大学医学部卒業後、金沢大学医学部産科婦人科学教室入局。国立金沢病院勤務、国立病院東京災害医療センター、New Hope Fertility Centerを経て加藤レディスクリニック診療部長に就任。2013年に加藤レディスクリニック院長に就任。日本A-PART副理事長。
日本医科大学卒業、産婦人科専門医、東京産婦人科医会理事。東京大学医学部附属病院、三井記念病院医長、虎の門病院医長、愛育病院医長を経て、現在、三楽病院産婦人科部長。